私ばかりいつも損している気がする。
私は真面目に仕事しているのに。間違ってないのに・・・。
そんな気持ちを持ったまま働くのは、本当につらいですよね。
でも、まじめで正しいことが、必ずしも正解とは限りません。処世術と、決められたルールは全く別のものです。
正しい・私は間違ってない。そんな思いが強かったばかりに、追い詰められて退職してしまったTさんの話をご紹介します。
「正しさ」が正しいとは限らない
以前、短期で派遣された職場でのことです。
ワンフロアに100人近くが働くオフィスに、私は同期5人と共に入社しました。
設けられたルールとは
職場は完全なオフィスビルなのでフロア内でのルールもしっかりあり、研修ではまず服装、してはいけないこと、決まり事などの説明を受けました。
そのルールの中の1つにあったのが
蓋の閉まらない飲み物をフロアに持ち込んではいけない
というものです。
デスクにはパソコンや大事な書類が置いてあるので、そういったものを守るためのルールです。
持ち込み可能なのは、ペットボトルや水筒、タンブラー。
持ち込んではいけないのが、牛乳パックタイプや紙コップタイプのものですね。
なんてこともないルールですが、現実とのギャップに強い違和感を持ったのがTさんでした。
実際の職場であったルール違反
実際の業務が始まり、同期の皆は比較的仲がよかったので休憩やお昼なども一緒でした。
慣れない書類とにらめっこする仕事は、やっぱりしんどいです。
同期同士で年代が近いということもあり、愚痴ったり、ミスを励ましあったり、話のしやすい間柄でした。
そのうち、同期の1人(Tさんとします)が、ある不満を口にしたのです。
それは
「蓋の閉まらない飲み物をフロアに持ち込んではいけないという決まりがあるのに、平気で持ってきている人たちがいる」
というものでした。
確かに先輩方も、ふつうにデスクの上に、ルール外の飲み物を持ってきていました。
紙パックの飲み物なんかはルール違反ながら、現場では普通にデスクの上に置かれていたのです。
私にとってはルール違反云々よりも、Tさんがとても不愉快そうにそのルール違反について指摘していたことが、印象的でした。
気になる人は、いけないことが目につきやすい
Tさんはすごく真面目に仕事をこなす人でしたし、どちらかといえば控えめな、大人しい人でした。
同期の中にはぱーっと明るい、上司にも軽口をたたけるタイプの人もいたので、私はどちらかというとTさんといる方が落ち着きました。
ただ、一緒に過ごす時間が増えるごとに、Tさんは、周りがとっても気になるタイプの人なんだと、徐々に確信を持つようになりました。
仕事に慣れてくるにしたがって、Tさんは飲み物以外のことにも不満をもらすようになったからです。
- 服装はオフィスカジュアルが規定なのに、年下上司がミニスカ・ニーハイで仕事していること
- 特定の人に嫌われている気がすること
- 残業のために予定をあけておいたのに、直前で残業なしと言われること
- 絶対サボっているはずなのに、風邪で休んでたという同期のこと
などなど。
こういった不満を口にするTさんを眺めながら、「あぁ、Tさんは真面目だからいろいろ気になるんだろうな~」と思う反面、「私のことも、何か気になっていることがあるかも」と心配にもなりました。
不満に追い詰められて、退社してしまうことに
半年の契約で入社した私よりも早く、結局Tさんは会社を辞めてしまいました。
Tさんの仕事内容に電話対応が加わったことが、大きなきかっけです。
といってもそれはTさんだけではなく、同期や先輩の中から、数名が選ばれた形です。
Tさんを含む数名が、いつもの業務をしながらも、電話が鳴れば率先して電話に出る役割を与えられました。
お昼休憩のたびに、このことをいやだいやだと愚痴るTさん。
確かに大変そうではありますが、Tさんだけではない話なので、私はどういえばいいか分かりませんでした。
私は業務変更はなかった立場なので、余計ななぐさめはかえって逆効果かとも思い・・・。ただただ、Tさんの話を聞くしかありませんでした。
そして決定的となったのが、Tさんと同じく電話対応を任されたもう1人の同期の存在です。
その同期は先輩から特別に可愛がられていたこともあり、仕事中によく先輩と話をしていることが多く、電話が鳴ってもその対応は1歩遅れていました。
真面目なTさんは電話が鳴ると、嫌でもすぐに対応してしまいます。
でも、すぐに対応すると、どうしてもTさんが電話に出る確率が跳ね上がってしまいます。
一方で、あまり電話に出ることなく、先輩に可愛がられ楽しそうに話をする同期の存在・・・
手持ちの業務とあらたな業務。そしてその不公平感が堪え切れず、Tさんは上司に直談判しました。
でも、結果は、今の業務は変えられない。ということに。
結局その数日後、Tさんは突然退社してしまいました。
どうして私だけ、という思いが心の余裕を削ってしまう
細かい描写をはぶいた部分はありますが、電話業務をかえて欲しいと直談判したTさんの状況には、少し無理がありました。
その条件だけで職務変更を申し出ることは、状況的にTさんがわがままだと思われるには十分でした。
だからこそ、上司は全く譲らなかった。
でも、私はTさんと短い間でしたが付き合いがあったから、電話がきっかけではあったけど、Tさんの不満はそれ以前から少しづつ降り積もっていたのだと理解しています。
飲み物のこと。服装のこと。出来の良くない上司。要領のいい同僚・・・
色々なことに不満をかかえながらも
「私は仕事をきっちりこなすし、ルールだってきちんと守る。」
というのがTさんのアイデンティティだったのだと思います。
でも、いつも真面目に仕事をしているのに、少しの不満すら受け入れてもらえない・・・
そう感じて、絶望してしまったのではないでしょうか。
Tさんが仕事を辞めてしまった最後の日、たまたま休憩時間や終業時間が合わず、ぜんぜん会話をする時間がありませんでした。
話ができても私は何も言うことはできなかったのかもしれませんが、今でも、Tさんのことをよく思い出します。
真面目なだけでは、生きにくい。
もしも、小さなルール違反に「まぁ、そんなもんだよね~」とスルーする余裕があれば。
もしも、他の人の不真面目さに「私はわたし」と切り分ける余裕があれば。
そうしたら、Tさんは電話のことくらいで職場をやめなくても済んだのかもしれません。
ルールを盾に人の間違いを指摘してしまう人は、うとまれてしまう場合もあります。
でも、ルールをきっちり守る人も大事です。
ただ、少しくらいいい加減な方が、この世は泳ぎやすいのかもしれない。と思わずにはいられません。
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