対人関係における失敗をしたことが無い人は、なかなかいないと思います。
あぁ、もっとこうすれば良かった
あんなことしなければ良かった
そうやって後悔すること自体が悲しい話ですが、結局のことろ、失敗せずして成功はできません。
後悔しながらも、その反省を生かして生きてゆくしかありません。
とはいえ後悔の念で押しつぶされそうになる前に、誰かの失敗を見ることで「あぁ、みんな同じだな」と少しは安心することができるかな、と思うのです。
ということで、私の失敗を色々書いてみました。
人間関係で失敗した経験
この世に生まれ落ちた瞬間から人間関係は始まっています。
家族・友人・職場の人・・・
あらゆるステージで人間関係が繰り広げられます。そのステージの数だけ失敗もありますよね。
おじいちゃん
家族の中でも一番私に甘く、分かりやすく大事にしてくれていたのが祖父でした。
私の帰りが遅ければ玄関の前をウロウロして待っていたり、父に怒られてわんわん泣いていたらお小遣いをくれたりもしました(祖父なりの慰め方なのかは不明)。
私が塾に行く時には、いつも玄関先に出てきてお菓子を持たせてくれました(それがいいかは分からないけど)。
いつも気にかけてくれていたのに、成長期になった私はそのことをめんどくさい・構ってほしくない、と感じるようになりました。
冷たい態度やそっけない対応を何度もしたと思います。記憶に残っている以上に、色々可愛くない孫だったと思います。
祖父は私が22歳くらいの時に亡くなっていますが、今でも、「あんな態度取らなかったら良かった。もっとおじいちゃんと話をしたかった。」と何度も思い返します。
亡くなった相手に後悔するなんて一番どうしようもなくて悲しいことですね。
でもやはり、思い出しては後悔してしまいます。
父親
父親も10年以上前に亡くなっているのですが、父に関しては祖父ほどの「こうしていれば・・・」という強い後悔の念は無いものの、
父が亡くなる原因となった病気による闘病の際、あまりにもひどく落ち込んで弱っていく父に、何も言えなかったことを後悔しています。
とはいえ今でも、あの時の父になんて言ったらいいのかは分かりません。
でも、時々思い出しては、何かもっとできることはあったのではないかな、と考える時があります。
失言の数々
さて家族絡みはこれくらいにして、同級生やバイト先・職場の人などに対する失敗を挙げてゆきます。
私は言葉のチョイスが悪い部分があり、何度も人様に不愉快な思いを抱かせています。完全な失言ならまだしも、良いと思って発言していたケースもあるので始末が悪いですよね・・・
小学校の時に仲良くしていたとある子に対する、私が抱くイメージを文章化したものです。確か授業で友達をテーマに作文を書く機会があったのですよね。
で、これを書いたらその後、見事に嫌われてしまいました。
当時は子供だったし、あからさまに避けられて悲しかったです。私もごめんと言うことすらできず、そのまま疎遠になってしまいました。
この発言は高校生の時ですね。
直接仲が良かった子ではなく、友達の友達に、八重歯の子がいたんです。体格も小柄でほがらかな感じで可愛くて、笑った時の八重歯と少し舌足らずな話し方が印象的な子でした。
で、この私の発言です。
「八重歯が可愛い」の方が良かったのかな(違う?)。私がこう言った瞬間その子が凍ったので、しまったと思いました。でも、発言は取り消せません。
元々が友達という訳ではなかったので、その後こちらから絡むことはなくなりました。
学生の頃はタクシーを利用する機会が皆無に等しいこともあり、「タクシー=すぐクラクション鳴らす=怖い」っていうイメージがあったのです。
で、この発言に繋がりました。
そして、言った相手のお父さんはタクシーの運転手さん。これは私が悪すぎました・・・。
こちらも学生時代の発言です。
家に車ない人?そりゃ居るだろう。日本は交通網が発達してるし、実際自家用車はコスパ悪かったりもするし。
と今なら思います。でも当時の私は家に車があって当たり前だったので、すごく普通にそう発言しました。
相手の顔が曇ったのを見て、「あ、違うんだ・・・どうしよう」となりましたが、もう遅い。
これは私が10代の頃、バイト先のうんと年上のパートさんに言ったセリフです。
話の内容はなんだか忘れましたが、とにかくこの発言の直後から徹底的に嫌われました。イジメられてはないですが、完全無視を通されました。
当時はどうしようって少し困りましたが、職場で挨拶や引継ぎも無視ってどうなの・・・と今なら思います。
そのパートさんとちょっと仲良くなりかけてた頃だったので、残念でもあり、もやっとする気持ちもあり。とにかく、口は災いのもとだと学びました。
すごくボンバーアフロヘアの方がいて、これは地毛だって言われたときに、私が言った言葉です・・・
もうほんと申し訳なくて恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいです。
私自身くせ毛で昔から悩んできたくせに、ここまでの縮毛の方がいるなんてことがすぐに理解できず、普通に冗談だと思ってしまったんです・・・。
中国のことわざかなにかで、「知らない事は罪である」みたいなのがあったと思いますが、ほんとにそうですね。
「自分」が無さ過ぎで嫌われる
幼少期~中学生の頃までは、外ではかなり大人しいタイプでした。意図的にそうしようというのではなく、なんだか周りに押されて黙ってしまう感じです。
仲良くなれば普通に話ますが、気が強い人や集団でワイワイするのが好きな人は苦手で、避ける傾向がありました。
でも「自分が無い人」「大人しすぎる人」って子供の頃はとくに嫌われやすいですよね。いじめの対象になりやすいというか。
女子の場合はとくに、グループ内の誰かしらが嫌われてませんでしたか?
嫌われ者が順番に変わっていって、とりあえず皆一回は無視される、みたいな多感な時期がありました。そして大人しすぎて周りに合わせるだけの私も、もれなく無視されました。
ただ私の場合ラッキーだったのは、もともとノリが合わない元気っ子グループに属していて、その中で嫌われたという点です。
自然と自分と雰囲気が合う友達と話をしたり、一緒に行動するようになりました。
でも中学生の頃ってクラスや部活の繋がりは強かったので、どうしても仲が良い子とだけ関わるというのは難しかったです。
人に頼むのが苦手過ぎて距離を置かれる
高校の頃、友達に誘われてボランティアに行っていた先での話です。
私は高校生。周りはほとんど大学生。
友達以外ほぼ全員目上の人ということもあり、楽しいながらも気を遣うこともありました。
そしてボランティアの作業には力仕事もあり、1人で作業するのは危ない場合もあります。そういう時は周りの人に「手伝って」と言えば解決です。
でも私はその「手伝ってください」がなかなか言えず、1人でなんとかしようとごちゃごちゃやって、結局周りの気づいた人が手を貸してくれる状態でした。
大学生さんの1人から「言えばいいのに」と言われ、確かにそうだなと思いながらも、言いにくい自分は変わりませんでした。
その「言えばいいのに」と言った方とは全くもって仲良くなれないままボランティア時代は終わりました。
向こうは私に多少以上のイラ立ちを感じていたんじゃないかと、今なら思います。
実のところ、頼むのが苦手・自分から言わずにヘルプ待ち。こういう人は私自身もすごく苦手です。
必要なことはちゃんと自分の口で言わないとですね。
SNS・メールのミスからくる人間関係の崩壊
次は文明の利器、携帯電話です。
これが出始めたころにはもう10代後半だったので大きなミスはしていない(つもり)ですが、現代っ子はほんと、ネットリテラシーを高めないと多感な時期に人間関係が崩壊して大きなダメージを受ける危険性があります。
これはあるあるじゃないでしょうか。
とある、やや嫌われ者・笑いのネタにされている〇○ちゃんという子がいました。
私とその子は友達ではありませんが、家が近所ということもあり古くからの知り合いという関係。共通の友人も何人かいます。
ある日珍しく、私に〇○ちゃんからメールが来ました。
内容は忘れましたが、当時仲間内では〇〇ちゃんの動向をウォッチすることが流行っていたこともあり、共通の友人に「〇○ちゃんからメール来た~!」ってメールした・・・
つもりでした。間違って本人に返しちゃったんです・・・。
ご本人からは超冷静な怒り気味のメールが来ました。ゴメン。
ちょっとした集まりで人間関係のトラブルがあり、その件について特定の人だけでグループチャットをしていたんです。
その中で、「私は誰を信じるということは無い」という旨のコメントをしたのですが、そのチャットが本来見るはずじゃない当人の目に触れ、私がその人を信用しないと書いている風に受け取られ・・・
当人から、呪いのようなメールが届きました。
チャットが漏れたこと自体に驚きましたが、本人が連絡をくれたことで多少の誤解は解くことができました。
そして、内輪のチャットでも誰が見るかはわからない。誤解を生むような安易な書き込みは慎むべき。ということを学びました。
人間関係で失敗しないために必要なこと
人間関係に関する書籍や情報はたくさん出回っており、私自身も過去に何冊も読みました。
「人間関係の失敗を防ぐために」というテーマで共通して書かれている点を、以下に挙げてみます。
職場なんかではこういった点ができているだけでも「人間関係に大失敗する」ということはかなり防げるのではないでしょうか。
でも、どれだけ予習しても誤解や失敗を完全に防ぐことはできません。
そこでなによりも大事なことは、失敗したと思った瞬間に謝ることが出来るか、だと思います。
どうしようもない行き違いや、謝る謝らないの話ではない場合はもちろん謝っても状況は変わらないと思いますが、
- 明らかに自分の失言であったり
- 知らなかったゆえの失敗だったり
- 相手も悪かったとしても自分にも少しでも落ち度がある
こういう場合、少しでも早く謝ることでそれ以上の亀裂を防ぐことができたり、失敗も含めて相手に認めてもらえる可能性が高まります。
「あっ・・・(ヤバイ)」と思ったまま口を閉ざしてしまったら、相手とは一生そのままです。
失敗してもリカバリーできるような自分になろう
本やネットで学んだことが血肉となればいいですが、実際のところ、「知識」を「行動」につなげるのは難しいです。
だから結局は多かれ少なかれ自分で失敗して痛い目をみて、次の行動を変えてゆくしかありませんよね。
失敗はつきもの
という前提に立ったとき、「謝る」ことができるかどうか、はかなり重要なポイントだと思うのです。
失敗して迷惑かけて謝ったり謝られたりしながら人生を歩いてゆく
失敗しても相手も悪いからと人と自分を図りにかけて生きてゆく
どちらが最終的に実りある人生になるかなぁ、と思うのです。自戒もこめて。
救いがあるとしたら、失敗したらそれで終わりなのではなく、自分次第でリカバリーできる可能性がある、という点ですね。