限りある命には、いつか終わりが訪れます。
大切な家族との別れは、遅かれ早かれ誰もが経験しますよね。
そしてその悲しみは・・・
私は、癒したくもないし、この心の穴を埋めたいとも思いません。
父親との早い死別
私の父は、私が成人して間もなく亡くなりました。
父は平均寿命よりもうんと早く亡くなってしまったので、誰もが予想外のことでした(死因は病気ですが、ぎりぎりまで、回復の見込みがまだあると皆が思っていたのです)。
元気・強気がトレードマークのような人でしたので、私はすぐに死を受け入れることはできませんでした。
父が亡くなった日の夜、自宅に葬儀屋さんが来て父の身支度をし、家族に一人ずつ手を合わせるよう促しました。
私はこのとき祖父・祖母も生きていたため家族から死人が出るのは初めての経験。
父に向って手を合わせながら、自分が何をしているのかわからないくらい、1つ1つ進む儀式がまるで違う世界のことのようでした。
元気だったころの父と、闘病中の父、そして、亡くなった父。
頭の中で色んな父がごちゃまでになっていました。
ちなみにこの話はもう、15年ほど昔のことです。
心の穴は、穴のままに。
家族を失って、悲しい。
せめて長生きしてからの死別であれば、まだ心の折り合いも付けやすかったのかもしれません。
でも、あんなに元気で生命力が強かった父を思うと、悲しさと、やりきれなさを感じます。
身近にいた人がいなくなってしまった。
もう二度と会えないという心の穴・喪失感は、時間がどれだけ経っても消えることはありません。
でも、父が亡くなってからいままで、この穴を埋めたい。心の傷を癒したい。と思ったことはありません。
むしろ、何かで埋めることなど、そもそもできるものではない。と確信を持っています。
もちろんこれは私にとってなので、皆がそうかどうかはわかりません。
父を失った心の穴を感じるたびに、私が父にしてもらったこと、大事に育ててもらったこと私にとってとても大きな存在だったことを、思い出します。
ケンカしたり、怒られたりなどの思い出も同時に出てきますが、それもまた良し。
後悔だけは、なるべくしたくないのです。
父が亡くなってから15年経ち、その間には祖父や祖母も亡くなり、親戚にも亡くなった人はいます。
それぞれの人との関わり方は同じではありませんが、私が故人を思って苦しくなるのは、大抵後悔していることを思い出す時です。
あんな言葉、言わなければ良かった
もっと優しくしてあげたら良かった
ありがとうと言えていたら良かったのに
話をよく聞いてあげれば良かった
故人に対する後悔の空しさを感じるときは、いつもと言っていいほど「後悔先に立たず」という言葉を思い出します。
どれだけ後悔しても時間は戻らないのに、それでもやはり後悔の思いは自分をチクチクと攻撃します。
せめて、今生きて私に関わってくれている家族や恋人には、同じ後悔を感じたくない。という気持ちだけはいつでも持っていたいものです。
でも、生きている同士だと、ぶつかり合いとかが発生するのですよね・・・仕方のないことですが・・・。
穴がある私が、私。
お盆の時期だからでしょうか。
つらつらととりとめもなく書いてしまいました。
傷が付いたり穴が開いたり汚れたり、キラキラしたりときめいたり、ほんとに心は忙しいですよね。
つるつる丸い、玉のような心でなくても、ぼこぼこして穴が開いて、ところどころ黒ずんでいても、それが生きてるってことなのかなぁ。とこの頃は思うようになりました。
でも、幼い子供のキラキラと好奇心に満ちた真っすぐな心を感じると、やはり、どうかそのままでいて欲しい。と願ってみたりもする矛盾。
それもまた、私の勝手な願望です。