- 「やらずに後悔」より、「やって後悔」した方がいい。
- やって後悔したことよりも、やらなかった後悔の方が大きい。
なんて言葉が、いかにも人生の指針・格言かのように使われることがあります。
たしかに、「あぁ、やっぱりあの時やってみたら良かったな・・・」と後悔することは、誰でもありますよね。
「やった」自分を想像しては、もやもやした気持ちになるかもしれません。
でもそれは、心理学的な作用。というだけのことです。
隣の芝は青い。
逃した魚は大きい。
こういったことわざにもあるように、自分の手に無いものは、良く見えるものです。
「もしかしたら今ごろ手にしていたかもしれないのに」と思うと、後悔もひとしお。
でも、だからといって、「やって後悔する方がいい」という理由にはなりません。
捨てること、を選ぶ。
ポジティブなニュアンスを持つ「やって後悔したほうが悔いがない」という言葉がもてはやされがちですが、いざ取捨選択の場面に出くわしたとき、ポジティブな“雰囲気”で選んで本当にいいんでしょうか。
忘れられがちな、取捨選択の「捨」も、とっても大事です。
なにかを取る時にポジティブな気持ちになるのは割と簡単ですが、悩んで悩んで捨てる場面でポジティブになるのはけっこう難しいものです。
これで良かったの?と悩んだり、不安になったりすることは、できれば避けたいですよね。
でも、人生の選択の中には、「捨てることを選ぶ」のも必要です。
「せっかくのご縁だから」なんてフレーズと共に手元に置こうとしてるもの、ほんとに必要でしょうか。
「やって後悔した方がいいよ」って言ってるのは誰?
の記事でも触れているのですが、本当によくあるのが、「やらない後悔よりも、やって後悔」という言葉を、誰かから言われて悩んでしまうという場面です。
やってみるべきだよ。チャレンジしてみなよ!
こんな風に、人を説得するためにこの言葉を使う人物が目の前にいたら、少し距離を置いてその人を眺めてみてください。
その人物は、相手を説得することで、なんらかのリターン(お金だけじゃなく)を得る立場にある人ではありませんか?
本当に相手を思って言っていると、断言できるでしょうか。
本当に相手を思っていたら、大きな決断を、そんな格言めいた言葉をもって説得しようとするでしょうか。
悪意があるかないかは関係ありません。純粋な善意が人を滅ぼすこともあります。
ここで言いたいのは、相手の意図を見抜こうということではなく、「人に押されないと本来選ばないようなことを選択する必要はあるの?」ということです。
あなたが普段から人の意向を汲む傾向があるのなら、なおさらです。
「やらなくて良かった」ことはザラにある
ほんとうにそうでしょうか。
世の中、「やらなきゃよかった」ことなんて、たくさんあります。
失敗は成功のもと、なんて言ってられないような「取り返しがつかないこと」は、意外とすぐそばにあります。
いっぽ踏み外したあとで後悔しても、もう間に合いません。
格言めいたふわっとした言葉なんてなぐり捨てて、冷静に
- 明確なリスク
- 起こりうるリスク
- 他人に及ぼす影響
- そこに関わる人たちは何者か。信用できるのか
- リスクが現実化したときリカバーできるのか(なんとかなるっしょ!は地雷)
- そこまでしてやることなのか
- そもそもほんとにやりたいのか
を紙に書きだしてみましょう。
書こうとしてみると、意外と自分が何も考えていなかった事に気がつきます。
やらなかった後悔は、脳内だけで済みます。
でも、やってしまった後悔は、脳内だけで済まないこともあります。
何のしがらみがなくてもやりたいのか、やりたくないのか、それだけ。
なんだか、「決断とは、重く暗いもの。」のようになってしまいました。
この記事を書くにあたって、色々な事件や事故、自分自身にあったことを思い出していたからです。すいません。
でも今更ですが、たいていのことはきっと、「やってみたらいい」ことの方が多いです。
こんな歳だし、今から英語を勉強してもなぁ・・・。
太ってるから、ダンスなんて習いに行けない・・・。
卒業する前に、あの人に告白したい・・・でも恥ずかしすぎる!
こういった内容なら、「○○だから・・・」なんて言ってないで、やっちゃえばいいですよね。
しがらみも、誰かの期待も、自己否定も捨てて、ただ純粋に自分が自分のためにやりたい~!と思うことこそ、「やらないと後悔すること」ではないでしょうか。
どっちを選ぶ?二択で迷ったとき決断の助けとなる方法と、選んではいけないこと。