「不安」は気分で増減するいいかげんなもの。
そんな不安をたくさん抱えると、良いものをたくさん取りこぼしてもったいないよ。
ということをこちらの記事で解説しました。

なら今ある不安を減らすには、どうすればいいのか?
というところですが、解決方法の1つは「不安の種を取り除く」ということです。
- お金が無くて不安なら、お給料の良いところに転職したり、副業で稼げばOK
- 友達は結婚しているのに自分だけ取り残されて不安なら、結婚すればOK
- 趣味も楽しいこともなんにもなくて人生が不安なら、積極的に探しにいけばOK
こんな風に、行動することで解消できる不安もあるわけです。
・・・ですが、「それができれば苦労はしない」という話ですよね。
転職したからといって給料があがる保障はありませんし、結婚したいと思っても、この人だという相手が見つからないかもしれない。
それになんといっても、転職したけどまた悩むかもしれないし、結婚してもまた悩むかもしれません。
不安が尽きない人生です。
じゃあ、心から安心してする、人生の不安を取り除く方法はないのか?
というと、実は、あるのです。
それは何かというと、宗教です。
子育てで心が折れそうだった友達を「救った」宗教
私は宗教団体に属した経験がなく、また身近にも宗教に専心している人がいなかったため、そういう世界とはあまり縁がありませんでした。
初めて「宗教に救われた人」を見たのは、社会人になってからのことです。
私の学生時代からの友人でした。
彼女は結婚して子供を産んだけど
- 旦那が家にお金をちゃんと入れない
- 育児に非協力的
- 自分の遊びの都合ばかり
という状態で、当時はかなり悩んでいました。
会うたびに現状のこと、旦那の金遣いのことなどを話して聞かせてくれ、そうとう参ってる様子でした。
でも、ある日から、だんだんと悩みについての話はしなくなったんです。
代わりに、神や、世の中の仕組みについて話すようになりました。
その宗教が何かは書きませんが、彼女の心のすき間にその宗教がぴたっと入りこんだようです。
彼女はその宗教の教えを聞いたことで、子育て・夫婦関係・人生の捉え方に迷いが無くなったかのようになり、むしろ、自信を持つようになりました。
- 子育て方法
- 悩み解決法
- 旦那とのコミュニケーション法
を、同じ悩みを持っている人に伝えたい。そう考えるようになりました。
人に伝えたいというのは宗教の教えのひとつなのかもしれませんが、最初悩みに悩んでいたころの友人と比べると、すごい変化です。
私が思う所はいろいろありましたが、ともあれこの経験によって
- 全くの無宗教だった人でも、見て確認したわけでもない「神」の存在とその意思を強く信じるようになる
- 人は悩みが解決していなくても心が安らぎ、安心感を選られる
という、「人の信じる心が持つ力」を目の当たりにしたのでした。
宗教は最強のマインドチェンジャー
宗教は有名なものから無名なものまで、もっというと、宗教法人でない「個人」を崇拝する形式のものまで様々です。
何かを強く信じることは
どうすればいい?
私はこの先どうなるの?
というあての無い迷いが減り、「私はこうすればいいのだ。」という方針を持つことができます。
さらには、「自分の行動は正しい。周りの人はわかっていない。」というある種の優越感までもたらしてくれます。
こんな風に、不思議なほど心に力を与えてくれます。
ですが、宗教や宗教的な集団に属することは、私は個人的にはまーーーったくおすすめしません。
むしろ、離れた方がいいと思います。
エッセンスを知りたければ自己啓発本、宗教本は山の様にあります。「これがいいな」というものを読めば良いのです。
「本じゃだめだ。直接会ってもっと理解を深めたい。」
「私のケースはどうなんだろう?セミナーに行けばなにか教えてもらえるかも。」
こう考えてしまう人は、おそらく、どんどんのめり込んでしまいやすいタイプです。
深みにはまる可能性大です。
信じることで報われる・心が満たされる理由
どうして何かを信じると心が軽くなり、安心感が得られるのか?
というと、以下のようなところではないでしょうか。
受け入れてもらえる・似た境遇の人と分かち合える
今や現代は自己責任社会。
何をして、その結果困ろうと、親身になって助けてくれる人が周りにどれだけいるでしょう。
親や兄弟・親せきならまだしも、友人や会社の同僚となると、自分の内情を話す事はためらわれるものです(親戚でも話しにくいですよね)。
それに話をしたところで、受け止めてもらえるとは限りません。
「お前が悪い」「もっと頑張れ」「情けない」
こんな事言われたら傷ついて、立ち直れなくなるかもしれません(それが叱咤激励だったとしても)。
でも、宗教の人たち(または書籍)なら
「辛かったですね」
「私もそうでした」
「もう大丈夫ですよ」
こんな風に、ふんわり柔らかく、受け止めてもらえます。
悩みと孤独が深い人なら、イチコロです。
自分に筋を通すことができる
「あなたの行動は間違ってる」と責められるのは怖いですよね。
「この先どうしたらいいんだろう」と人生で路頭に迷ったとき、どう進めばいいか分からず、自分の人生を自分で決めることにすら恐怖を感じるかもしれません。
人は弱いものですし、いつだって自信満々な人なんてそうそういません。
でも、宗教の教えを信じれば、そういった悩みが格段に減ります。
なんといっても、神(生身の人であっても)の教えの元なのですから。
- こういう時は、こうすべし。
- これは忌まわしいものだから捨てなさい。
- あなたは悪くない。
- その悩みには、こう対処しなさい。
こんな風に、ある種のレールを敷いてくれます。
神が言うのだから、それを信じる。
それを信じて行動すればするほど悩みが減り、ますますその教えから離れられなくなります。
「悩む」という苦痛からの解放
人は基本的に悩むことが嫌いです。答えの出ない状況は、脳が嫌がるからです。
だから悩みが深いときほど、それらしい「答え」があれば、その理由が驚くようなものでも意外なほどすっと受け入れてしまいます。
「神(あの人)がこう言ってるから」という客観的に信じがたい理由でも、信じた本人にとっては信じるべき大きな理由であり、
その結果人生の「迷い」という苦痛が軽減されるのですから、「信じて良かった」「神のおかげだ」という結論に至るのは簡単なことです。
結局みんな、「自分」を信じたい。
ディープなものからライトなものまで、宗教には色々な教え・考え方があり、それを信じる人の気持ちも様々ではありますが・・・
何かを信じてその結果、何を得ているのかというと
結局はみんな、自分を信じるという安心感を得ているんです。
ホントは自分を信じたい。でも自分を信じられない。自信がない。怖い。
だから自分以外のものを信じて、それを通して、自分を信じているんです。
「間違ってないよ。大丈夫だよ。」
自分で自分にそう思えるだけで救われる人は、どれだけいるでしょう。
ここでも改めて、現状は変わらなくても「人は考え方が変われば安心できる。」ということがわかります。
あぁ私、私でいいんだ。
大丈夫なんだ。
なるようになるかぁ。
こうシンプルに思えることが、人生の不安を軽減する最大のポイントのようです。
そしてそれは、宗教に入るから得られるものではなく
自分で「そう思ってみる」から、得られるものなんです。