生きるのはめんどくさいがわざわざ死ぬほどではないから、今日も飯を食う。

生きるのはめんどくさいがわざわざ死ぬほどではないから、今日も飯を食う。

この記事には特に意味はありません。ただ思う事をぽつぽつと書いてみるだけです。

タイトルの「生きるのはめんどくさいがわざわざ死ぬほどではない」というのは自分のことです。

でも、「少し前までは」という方が正しいかな。

今はめんどくさいとまでは思ってないかもです。

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死は怖くないけど、死ぬまでは怖い

Yahoo!知恵袋なんかを見てると、生きるのがめんどくさい方って結構多いんですね。

なんとなく10代とか20そこそこの若い方が多い様な印象を受けました。

あぁ、私自身もそんな年代の頃は漠然と、生に対してやる気がなかったなーとふり返ります。

いつ死んでもいいし、「死んだあとの世界があるのか無いのかが分かる。面白そう!」とすら思ってました。

もちろん自分から積極的に命をどうこうしようという気は全くありませんが、もしも自ら死ぬとしたらこんなシチュエーションがいいな~という想像はしてましたね。

たしか中学生の頃くらいには「理想のシチュエーション」みたいなのをはっきりと持ってました。

まぁすごく単純ですが、外国のすっごくキレイな海が見渡せる崖っぷちに立って、キレイな海とキレイな空を見渡して、そこが最後の景色だな。みたいな。

でも、そういう方法は途中の崖に体を打ち付けてすごく苦痛を伴ったり、波でざばーんざばーんと打ち付けられて、ものすごくひどい有様になる。という情報をもう少し大人になってから知って、「じゃあ、無理だな・・・」ということで、理想ではなくなりました。

 

こんな感じで、命が無くなることに対してはあまりネガティブなイメージはありません。

でも、さよならする直前までの過程って怖くないですか?

例えば事件に巻き込まれて、全く望まない形で・・・とか

何年もに渡って闘病して、何度も手術して・・・とか

むやみに長生きして家族もいない。仕事もない。お金もない。たった1人で孤独死・・・とか

 

自分の人生の終盤がどういう形になるかって、想像しても楽しくありません。怖いよ。

やっぱり痛いのは嫌だし、辛いのも嫌だし、お金が無い生活だって怖い。

自分なりに頑張ってはいるけど漠然と生きずらいし、人生ってやっぱりめんどくさい

生きるのがめんどくさい方の中には、ほんとにめんどくさすぎて家にこもっている方もいるみたいですね。

とはいえ生活費は稼がないといけませんし、何かしたいことがあるならお金も必要。ご飯だって食べなきゃだし、生きてるとお金はかかります。

もしも私に余りあるお金があったら・・・それでも割と引きこもってるかも^^;インドア派なので、家にいてもそんなにストレスが溜まりません。

 

とはいえ20代のころは仕事も勉強もあるし、人並みになりたい野望もあったので一生懸命外に出てました。

色んな人と会って話をして、今思えば「意識高い系の人」の話をうのみにする傾向があったかな。

  • 考えが浅い
  • 自分に軸が無い
  • 言葉の裏を読めない
  • そもそも先のビジョンがない
  • 行き当たりばったり

こんな状態の若造が会社組織とは全く違う社会の荒波に出ても、ネギしょったカモみたいなもんです。まぁアムウェイにはひっかかりませんでしたが、ほんとに人生ってうまくいきませんね!

 

私、なにやってんだろー・・・って足が止まるたびに、人生がめんどくさく感じました。

 

しかし冷静に考えると、この場合の「人生めんどくさい」は「もう考えたくない」とイコールですね。

あえて「人生」なんて広めの言葉をチョイスしているあたりが我ながら思考停止です。

ただ生きて、ただ死ぬだけ。

若かりし頃、「どうして人は生きているのか?」「どこからきて、どこへ行くのか?」みたいなことを追求したくて仕方がない時がありました。

単純に考えるのが楽しかったのです。宇宙の果てに思いを馳せるような感じがたまらん。

 

でも、生きる理由も人生の意味もいまだにまったく分からないし、今では「べつに無くても良いのだ」と感じるようになりました。

 

身近な人の生と死を何度かした経験したあとくらいから、自然とそういう考えに変わったように思います。

死にたくなくても死ぬときは死ぬし、死なないで欲しいと願っても避けられないこともある。

管に繋がれて自分が誰かも分からなくても命があれば生きているんだし、新しい命には畏敬の念すら抱く。

 

自分でコントロールできる部分なんて、せいぜい何を食べて、何を思うかくらいですよね。

わざわざ壮大に「人生の目的は何か」を見いだそうとしていた自分は、かなりの暇人じゃないかとすら思います。

どうして呼吸してるのかなんて自律神経のお陰としか言いようがないように、生きる理由を探すなんて、少しナンセンスなのかも。

 

まぁそれは私の場合です。探したい人は探したってもちろん問題ありません。泥沼にはまらなければ楽しいですしね。

人には生きろと言いたい。自分には自由にどうぞと言いたい。

過去の自分がうきうきと最後のシチュエーションを想像するような人物だったこともあり、世の中のニュースで自ら絶つ人を見ても、「それはいけないことだよ!」とは正直思わない。

でもやっぱり、もったいないな、とは思ってしまう。

逃げる方法はあったんじゃないか。それ以外の選択肢もあったんじゃないか。そう思うと、会った事のない人であっても少し悲しい気持ちになる。

だってその人達は多分、うきうきした気持ちで選んだわけでは無いのだから。

 

それがもし身内だとしたら、ましてや我が子だとしたら、悲しいでは済まないと想像する。

生きてて欲しいな。理屈抜きで止めるだろう。

会社が辛いならやめたっていいし、学校がつらいなら引っ越して別の学校に行ったっていいじゃない。

私は日本に姪がいるけれど、もしその子が日本で生きづらくなっているのなら、いっそのこと日本はやめてこちらに来た方がいいと思ってる。

とにかく、何をしてでも生きて欲しいのだ。泣いたり笑ったり、人生を生きて欲しい。

エゴ?そんなのシラナイ。

 

ところがこれが自分となると・・・

正直、止められても困る。気がする。

なるべく年功序列は守るつもりだけど、結局最後には「絶対ダメな理由がない」というところに戻るかな。

人には生きろと言っておいて、自分はまぁ、いいじゃない?という自分本位なあれですが。

でもご飯も美味しいし、空もキレイだから

こうやって生か死かを考えている間にも、お腹減ったな~と思うわけです。

外では鳥も鳴いてるし、天気も良いのですよ。

そんな世界を好きだと思う。

 

でも、悲惨な最後を迎える人や、人権もへったくれもないニュースを見ると、人間に絶望する。

 

どんなことも裏表ですね。良いだけのことなんて無いし、悪いだけのことなんて無い。

善・悪もそもそも自己都合ですしね。

 

こんなことを考えて時間が過ぎていく私はきっと、本気で暇人なんだろなーと思いながら、ご飯を食べに行くことにします。