私は昔、短い間ですがカウンセリング業に携わっていました。
その時期に少し関わった方との間で、今でもたまに思い出す印象的だったことがあります。
そして、同じようなことで悩んでいる方は多いのかなぁと感じることろがあるので、私の思うところと併せて少し書いてみようと思います。
同じところでくるくる回りがちな人が抜け落ちている点について、自戒も込めて・・・。
自分がどうなってしまうのかという不安
お悩みテーマとしてはよくある、夫婦間のお悩みをお持ちの女性とお話する機会がありました。
細かい事情はさておき、お話を伺っているあいだ、その方はずっと旦那さんの発言や行動についてを訴えられていました。
まるでその方は行き止まりに追い詰められているような、どうにもならない波に飲まれているような、そんな息苦しさを感じているのだなぁと思いながら、お話を伺っていました。
これからどうなるのか、自分はどうなるのか、ということが不安で不安でたまらない。
そういった様子でした。
どちらでも自分が選べる・選んでいいということ
私が当時していたことは、こちらが何らかのアドバイスをするものではありません。
ただ、お話を聞いた段階で明らかに欠けていたことがありました。
それは、その方自身の意向です。
感情(不安)としてのその人は存在していましたが、自分はどうしたいのか・どう考えているのか・相手に何を求めて(何を伝えて)いるのか、というあたりが全く無かったのです。
すっぽり抜け落ちた自分の意思。
これでは、旦那さんに気持ちを伝えることも、何かを相談することも、改善していくことも難しいですよね。
そこで、「自分はどうしたいのか」が全く無くなってしまっていることをお伝えしたうえで、
「離婚してもしなくても、自分で選べるとしたら?」とお伺いすると、とてもびっくりした様子でした。
旦那が、家族が、の中に「自分」がいない
不安でどうしようもないのにそれを口にすることも出来ず、不信感でいっぱいの相手に自分のこれからを全部預けるしかないという状況は、あまりにも辛すぎます。
何も言えず黙っていることと、信頼感があるうえで相手に舵を預けることとはまったく別の次元です。
こういう時に客観的に自分を計る1つのポイントになるのは、「誰がどうした・誰がこうした」ということで頭が埋まっているかどうかです。
考えることは、誰かのことばかり。つまり自分が置いてけぼりの状態を意味します。
あなたの脳内のひとり言、主語はどうなっていますか。自分がどこかへ追いやられていませんか。
自分への質問が、次の一歩を変える
知らないうちに自分の考えや意思を見失って「何も選べない状況」に絶望してしまうこと、そんなに珍しいことではないと思うのです。
特に女性は感情優位といいますし、悲しい・苦しいの感情に溺れて現実的行動の視点がぼやけてしまいがちなのではないでしょうか。
人の脳は、質問を受け取るとその答えを一生懸命探そうとします。質問した本人が忘れていても、頭の片隅でずっと答えを探し続けます。
苦境に立たされたとき、
「自分に何ができるのか?私はどうしたいのか?」と脳に尋ねるのと
「あぁまただめだった。私は不幸だ。この先どうなるのよ。」と尋ねるのでは、その後自分の中に浮かぶアイディアや発想が根本的に異なることは簡単に想像できますよね。
自分を変えることが「楽しい」わけではない
ここでひとつ注意したいのが、「自分がどうしたいのかが分かったけど、結局それもしんどい」という場合も普通にあり得るということです。
例えば、今まで旦那さんに反抗ひとつせず、自分を押し殺して生活してきた。心身ともに疲れ果て、心がもうもたない。
こういう場合、いくら自分の望むところが分かったとしても、いきなり自分の意見を発言できるようになり、旦那さんと言い争いだってできるような関係になるのは難しいですよね。
今までの選択にはメリットがある
歯にきぬ着せずぽんぽん発言する人と貝のように押し黙る人の違いは何かというと、本人が心の奥で何を良しとしているか、という部分です。
自分の言いたいことが全く言えない(もしくは何が言いたいかもわからない)、という人は、そこに至る背景や現実的な理由が色々あるとしても、
最終的に「言わない方が身のため」を選択していることになります。
何も言わないことで
- 人との摩擦を回避できたり
- 自分が恥をかく機会を減らせたり
- 人を傷つけなくて済んだり
- 殴られたり怒鳴られるリスクを回避できる
こんなメリットを得ていたとしたら・・・
メリットを捨てるには恐怖や不安が伴う
もしも自分が勇気を出して口を開いてしまったら・・・そのメリットは失われるかもしれませんよね。
やはり、長年守ってきたメリットを手放すことは、すごい恐怖を伴うものだと思うのです。
こういう部分があるので
「あぁ今まで自分は自分の気持ちを見ないでいたのだ。これからは自分の気持ちを汲み取って、ちゃんと伝えるようにしよう」
というところまでたどり着けたとしても、その先の第一歩目というものは、決して楽ではないことが多々あります。
魔法は無い
なんでこういう事を書いたかというと、『ある日突然変われた私!』を期待している方は多いのかな、と感じるからです。
カウンセリング一発で目が覚めたように変われたら楽だし嬉しいかもしれませんが、現実的にはそれは一時的なドー〇ングのようなものであることが多いです(それが役に立つこともありますが)。
激しいダイエットで急に痩せるとリバウンドしやすいですよね。
心も同じで、突然すごく変われても、そういう場合揺り戻しも強いです。
泥臭くても、それで普通
多くの場合、心の変化が起こったあと(自分の気持ちを拾ってあげよう!と気づく)、それを現実に行動へ移すプロセスが必要になります。
例えば、
- 旦那さんに言う
- 友達に伝える
- 嫌だと言う
- 嬉しいと言う
などのように、今まで黙ることで得ていたメリットを捨てる行為を実際にする必要が出てきます。
ここで勇気を出して行動に移して初めて相手の反応を見ることができます。もちろん1回目は撃沈するかもしれないし、思ったような結果にはならないかもしれません。
- でも、行動すれば、何かしらの結果が出ます
- そのデータを元に、修正点を考えることができます
- その過程で新しい自分を見つけることもできます
つまり、1歩目・2歩目・・・と進んで行けるということです。
気づくことと行動は、切り離せない
人に相談したりカウンセリング・本を読むなどを通して「自分が忘れていたもの」に気が付くことって多いと思います。
そういう意味でも自分の考えを外に出すことは役に立ちますし、現実を動かす力が早くなると感じます。
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そして、「あぁ、自分にはこれが足りなかったのだ」という何かに気が付けたら、小さくてもいいから行動に移してみて欲しいのです。
その時に不安や沸いてくるのは自然なことです。今までやっていたことと違うことをするのですから。
ぐるぐる同じところで回ってしまう時は、行動が足りてない可能性を疑ってみてください。
頭でっかちになっているのかもしれません。